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介護士さん向けの情報サイトでブログを紹介して頂けました [その他]

介護士さんのための情報サイト「きらッコノート」で
当「おやおや介護絵日記」を紹介して頂けました。

「平常心で介護ワークするために!自分の心を
コントロールする方法」と言うコンテンツの
一番最後、12章目に掲載されています。

【URL】 https://job.kiracare.jp/note/article/4781/

総扉修正済み原稿100.jpg
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おやおや介護絵日記をご覧の皆様へ [その他]

介護の本.jpg

「おやおや介護絵日記」をご覧頂きまして、ありがとうございます。
お陰様で2018年3月現在、総閲覧者数は20万件を超えました。
非常に個人的な内容や考えを綴った日記ではありますが
その中から一つでも、ご覧になった方のお役に立てるような
情報がございましたら幸いに思います。

当サイトは父親の介護が終了したのと時期を同じくして
更新も終了しております。その後の物語としては、実は
いくつか続く逸話もあるのですが、とりあえずキリが良い所で
終わらせています。

なおサイトの内容をもっと読みやすく編集した本
『親が倒れた日から、いつかくる…その日まで』は2015年に
TOブックスさんより刊行されています。
http://www.tobooks.jp/index.html
(63話目ぐらいで制作された本ですので、大体サイトの内容の
三分の二ほどが程良くまとめられています)

また作者個人の今後の作品や活動等につきましては
ホームページやフェイスブックページ等にて
随時お知らせしています。
ホームページ
http://www1.u-netsurf.ne.jp/~kabukabu/index.htm
facebookページ
https://www.facebook.com/イラストレーター-かぶらぎみなこ-727098270746207/

どうぞよろしくお願い致します。



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第85話「最終話。介護転じて未来に向かう」 [その他]

「おやおや介護絵日記」も、ついに最終話になりました。
最後はちょっと前向きに、明るい話題で締めくくりたい
と思います。

介護は先が見えず不安だし、色々な事が生じて大変ですが
自分の軸をしっかりと持っていれば、恐らく必要以上に
揺り動かされず、ぶれないんじゃないかなと思います。
そして時には、介護をしなかったら到底巡り会えない様な
思いがけない未来が開ける事もあります。

私の場合は「絵描き」と言う職業柄、どんな状況にあっても
常に描く事を考えています。
「描くこと」が軸だとすると、介護はその周りに発生した
一過性の出来事でした。介護に限った事ではないのですが
日頃の生活の中で影響を受けたものは、自然と
作品と言う形に結びついて、出て来ることがあります。

そうした流れの中で、最初に形となって出て来たのが
このブログでした。次いでブログを読んで下さった
編集者の方に作って頂いた本が現れました。
これは私にとって初めての著書となりました。

85介護の本ができたこと.jpg

次いで、その本を書店で見かけた
TV番組のディレクターさんによって、ほぼ全国的にで放映して頂き
(それ以前から企画していた展示会では)都内のギャラリーで
原画展も開催できました。
(奥に映っているのがテレビ映像の一部)

85本の原画と映像と.jpg

次いで介護の舞台が自宅から病院に移った後は
病院へのお見舞いが飽きないよう、少しでも楽しく
通えるようにと、イラストマップを描いていた事は
以前、第60話でもお伝えしましたが、入院期間が長引くに従って
そのマップも描く範囲が広がり、ついには父の病院があった
F市全体の地図に仕上がっていました。

85イラストマップGP展.jpg

85イラストマップの詳細地図一例.jpg

縦2メートル、横3メートル30に及ぶ、この巨大な地図は
その後、F市の様々な方の協力を得て、市内各所で
展示会をさせていただく事になります。

85フォーリス展示2.jpg

85フォーリス展示大盛況の図.jpg

更にはこのマップ、読売新聞の多摩版でも紹介して頂けました。
(2017年8月25日)

本(ブログ)にしても、マップにしても、介護の気晴らしにと
自分一人の世界で描き続けていたモノが、思いがけず
沢山の方に観て頂けたり、仕事のキャリアに繋がった事を
不思議だなと思うと同時に、ありがたいとも感じます。

ただこうして私自身がテレビに出演したり、新聞に載ったり、
展示会でスポットライトを浴びたりと、華やかになる一方で
(ライトを浴びているのは、正しくは私ではなく作品なのですが)
中には「この絵が嫌い」とか「大して上手くもないのにねぇ」とか
「絵地図に自分の家が描かれていない。この地図はインチキ」とか
そういう意図しないバッシングも多々受けました。

85グリーン展示会風景2.jpg

でも、そういうのも含めて全ての出来事には
「良い事も悪い事も、同じようにある」と思います。
華やかさも、バッシングも、表裏一体。
だけどどんな時でも、何を言われても、それでも描く。
自分の軸があれば、ぶれないし、何にも負けない。
そう信じています。

介護なんて、出来ればしないで済む方がいいし
正直やりたくはありません。
でも上記の様に、介護をしなければ生まれて来なかった
作品もたくさんありました。
そして同時に、どんな状況に陥っても自分は描いていける
と言う、揺るがない自信を持つことも出来ました。

私の場合は「描きたい」と言う気持ちが、自分の軸でしたが
きっと人それぞれ「こういう風に生きたい」と言う
願いがあると思います。そういう核を持っていたら
もしかしたら介護の形態は、自ずとその信念に
寄り添うように変わっていくのではないかと思います。

介護は堅い鉄板の様な、動かしがたい脅威ではなく
考えようによっては、柔軟性を持っているものだと言う
捉え方もできます。
「介護」と言う重い現実に、押しつぶされるのではなく
この状況を自分でコントロールしてみようと言う、
強い気持ち、もしくは肩の力を抜いたユーモアのある気持ち
(両極端ですが、要はその人が困難を乗り越えやすい
心の状態)で臨んだら、様々な可能性がそこには見えてくる。
そう信じたいです。

「やはり、悪い事ばかりでもない」というのが、
私自身の介護の結論です。

父の介護は終わりましたが、私の人生と作品はまだ続きます。
これからもたくさんの困難や、華やかな出来事に
直面するかもしれません。
でもその都度、展開の意外性や、未知の出来事との遭遇に
ワクワクしながら、明るい気持ちで描き続ける事が出来ればと
思っています。

全85話にも渡る長いブログを読んで下さった皆様、
本を買って下さった皆様、
テレビや展示会を見て応援や感想を下さった皆様、
そして実際に父の介護に携わって下さった多くの皆様に
心より感謝いたします。

病を得て、社会との関係が希薄になっていた父に
「沢山の方が、本やブログを見て下さっているよ。
お役に立てている事も、きっとあると思うよ。
病院で寝たきりになっても、社会と縁が切れているわけでは
決してないんだよ」と、いつも話しかけていました。
読者の方の存在が、どれだけ本人の励みに
なっていたかしれません。

本当にありがとうございました。


85ラストの花かごの写真.jpg

総扉修正済み原稿100.jpg




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介護に関して多くいただいた質問 Q&A [その他]

ブログに介護絵日記を綴っていると、色々なキーワードで
検索されている事に気付きます。
その中には、何度も繰り返し出てくる用語もあります。
なので今回は、関心が高いキーワード(質問)を
いくつかまとめて取り上げてみました。

Q1:病人へのお見舞いの仕方。声掛けのコツ。

まず外部の方がお見舞いに行く場合。
これはケースバイケースだと思うので、不安なら
患者さんのご家族に聞くのが一番かと思います。
我が家の場合は、当たり障りない所で「天気や陽気の話」から始まり
あとは「本人が良く知っている、昔なじみの方々の近況」などを
話していました。
それから「本人が元気な頃から興味がある項目(趣味など)」の話題も
表情から読み取ると、関心を惹かれている様でした。
要は病気であるなしをあまり気にせず、元気な頃と同じ感覚で
世間話をするように話す事が、話しやすさのポイントかなと思います。

一方、連日通う家族は、自ずと話題がなくなりがちです。
私の場合は朝起きて、テレビや新聞の情報の中から
話して面白そうなネタを仕入れたり、ご近所の方々の状況を伝えたり
「今日はこんな陽気だ」「こんな花が咲いていた」など
季節の移り変わりを話したりしました。
また梅の実などが出回っている時期は、2~3個持ち込んで
鼻先から香りを伝えたりもしていました。
話す事がない時は、枕もとに置かれているラジオから流れる
情報を拾って、話題を展開したりもしました。

逆にNGだなと思う話は、うちの場合は父が
ものを食べられない状態だったので「食べ物の話題」。
あとは回復して家に帰れる見込みはないけれど、本人には
そうとは最後まで伝えていなかったので「死に関する話題」や
「家に戻れない」と言う用語です。

でもお見舞いに来て下さること自体、気持ちがこもっている行為なので
明るい話題であれば概ね、本人や家族の気分を害する事は
無いのではないかと思います。

ネタ探し.jpg


Q2:寝たきりの人の散髪の仕方について

自宅で看ている場合、普通の美容室や理容室でも
訪問散髪を請け負って下さるところがあるので
そこにお願いするといいかもしれません。
うちの場合は、家で看ていた時は車いすに乗れる状態だったので
それを押して近所の床屋さんに連れて行っていました。
またデイサービスに通い始めてからは、施設に来ていた
床屋さんに散髪を依頼しました。

病院で寝たきりになってからは、病院に来ていた
業者さんに散髪をお願いしていました。
見ていると2人がかりで頭の周囲に白いシーツを広げて
バリカンで刈ると言う、短時間スタイルでした。(シャンプーなし)
そのあとは(私が)蒸しタオルで頭を拭き取ったり、ゴロゴロテープを使って
切った髪の処理をしました。小型の掃除機などもあると便利ですが
病室では音が大きすぎるので、結局使いませんでした。

ちなみに病院での散髪料金は、カット(髭剃り込み)で1500円でした。

詳しくは第59話『寝たままの散髪~』をご参照ください。


Q3:足の切断手術にかかる時間は?

これもケースバイケースだと思いますが、
我が家(片足をひざ下から切断)の場合は、約2時間ほどでした。
(お医者様の話では、切断せずにバイパスをつける手術の場合は
3~4時間ほどかかるとも言っていました)


Q4:車いすでお尻が痛くなった時の対処法

介護用のレンタル用品で、長時間座っていても
お尻が痛くなりにくいエアークッションが借りられたので
それで対応しました。それでも辛い場合は
2~3種類、色々なクッション(座布団)を用意して
時々入れ替えては、重心の当たり具合を調整していました。
使用したものは市販の品のほか、特注でリフォームしてもらった物など
色々です。
(でも実際、どれ程緩和されたのかは…本人にしかわかりません。
もし、もっと良いやり方があったら、後学のために知りたい気がします)


Q5:救急車に乗った時、あったら便利な物は?

これは第45話『救急車に同乗した時、あると便利なもの』
ご参照ください。


Q6:酸素マスクをつけ始めると長くない?

これもケースバイケースだと思いますが、必ずしも
「酸素マスクをつけられたから、もうダメ」と言う事態になるとは
限らないです。父の場合も、何度も酸素マスクをつけましたが
状態が持ち直したら、また外されて穏やかな生活を送っていました。


Q7:お見舞いの効用について

まず「家族は何時間ぐらいいた方がいい?」と言う問いが
ありましたが、それに関しては(やはりケースバイケースですが)
面会時間内であれば、その都度、ご都合に合わせて…で
大丈夫な気がします。

私が目にした方々も、そのご家庭によって様々でした。
複数のご家族が毎日熱心に通っては、数時間滞在されたり
お1人でも家族内でローテーションを組んで、通われていたり。
いらしても5分で帰るお嫁さんもいれば、長い時間滞在しても
一切何も語らず座っているだけの息子さん、
日に2回は顔を出す患者さんのお母さん…などなど。
介護おばさんの様に愛情が高じて、面会時間を逸してしまうと
病院の業務に差し障る事もあり注意されますが、それ以外でしたら
問題はないように見えました。

ちなみに我が家の場合は、通っていたバスが30分に1本だったので
それに合わせて毎日1時間~1時間半ほどの、滞在時間でした。

それから「お見舞の効用」についてですが、詳細は
第56話や第68話等でも描いていますが、端的に3つあります。
まず最初の2つは
「患者さんの励みになる」
「看護師さんなど周辺スタッフの対応も変わって来る」と言う事が、
大きな利点だと思います。

患者さんが社会と繋がりを保てている事、忘れられていないと言う事は
生きる気力になります。また病院スタッフの献身的な対応を
家族がちゃんと理解している事が伝われば、喜ばれますし
介護にもやり甲斐が生じる様です。
そして家族がマメに来ている患者さんは「大事にされている人」と
認識されて、同じ様に大事に接して下さる気がします。

最後のひとつは
「亡くなった時の状況に、きちんと納得できるかどうか」が加わる気がします。
もし患者さんの容態が急変し、そして亡くなった時、
家族が立ち会えなかった場合。
病院側からの説明だけで、果たして納得できるかどうか…です。
どんなに「この日はいつかくる」と覚悟していたとしても
「本当にちゃんと看ていてくれたのか?」と、その時になったら
疑念が湧くかもしれません。更に運悪く、その時が人の少ない深夜で
当直医が病院の常勤ではなく、臨時に来ている方だとしたら?

父の場合は、その全てが揃っていました。
実際に後日、亡くなった時の状況を周囲に説明しても
何人かが「夜間だから、ちゃんと看ていなかったんじゃないか?」と言う
疑問を口にされました。でも…。
毎日毎日お見舞いに行って、父の状態の変化を目の当たりにし
その都度、スタッフの方の迅速で慎重な対応も見てきました。
また断片的にだけれど、スタッフの性格や人となりもわかって来ていた。
そういう総合的な情報から「死に目には立ち会えなかったけれど
お医者様初め、スタッフの方の対応に嘘はない」と、
私自身は納得できました。


Q&Aは以上です。
次回からは最終章「お見送り編」を綴りたいと思います。



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第64話「外の世界とつながる介護」 [その他]

2015年4月~5月

この年の春、我が家の介護に新たな変化が訪れました。

と言うのも、ずっと綴っていたブログが
出版社の方の目に留まり、運よく本にして頂けたからです。
そして2015年4月20日、この本が出版されるや否や
私たち家族の介護状況が、多くの方に分かりやすい形で
伝わっていきました。

更にその勢いに乗じて、今度はNHKの制作班の方が
書店で本を見つけて下さった事がきっかけで、取材を受け、
テレビで紹介して頂けることになりました。

ずっと、ずっと、家庭の中で地味に籠って(こもって)
介護をしていた日々が、ここに来て一気に
日の目を見る事になったのです。
とは言え、日々行っている父の介護そのものに変化はなく
変わった事と言えば、本を読んで下さった沢山の方から
色々な介護にまつわるご意見を頂けたことでした。

その中に、義母を長年介護して「数年前に見送った」
と言う方がいました。
その方と「介護は上手に気晴らししないと続かないよね…」と
言う様な話をした時、私が「ブログを立ち上げた頃から、
介護をしていてどんなに辛い状況になっても
『これはネタだわ』とか『解決策はきっと見てくれた人の役に立つ』
と言う風に考えられるようになり、その事でモチベーションが上がって
大変な日々を乗り越えられた。
元々作品を作る事が好きだったから、その事とブログが
上手に結びついたのが良かったのかも」と言ったら、その方が…。

「それもあるけれど、もしかしたらブログを立ち上げた事で
外の世界とのつながりが出来たんじゃない?
例えば(イメージとして)今までテントの中に籠って介護していたのが
ファスナーを上げて、外の空気を取り入れたみたいな感じで。
それが解放感につながったんじゃない?」と。

介護テント100.jpg

ああ、なるほど。
そういう捉え方もあるのかと、その意見は目から鱗でした。
だとしたら考えようによっては、例えばPCが使えない人でも
絵が描けない人でも「介護と外の世界をつなげよう」とか
「外の空気を取り入れよう」と思えば、別のやり方で、色々な方法で
解放感を得られることが出来るかもしれない。
そしてそれは、とても心が軽くなる大事な事でもあります。

介護は本当に静かに地味に、どんどん暗い穴の中に
歩を沈めていくような感覚があります。
気がついたらものすごく大変な状況の中にいるのに
それに気づかず、閉塞感に押しつぶされそうに
なっている事もあります。

ある日いきなりそういう状況になるのではなく、静かに
環境が変化していくので、なかなか気がつきにくいけれど
「なんだか最近、息苦しいな」と感じたら、風通しを良くするだけで
流れは変わってくるのかもしれない。

私は自分の経験した事しか語れないけれど
「モチベーションを上げる工夫をすること」
「風通しを良くする(解放感を得る)こと」は
長く介護を続けていく上で、(介護する側の)家族を支える
大事な要素になると思います。

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書籍がNHKで紹介されました [その他]

このブログが書籍化された著書
『親が倒れた日から、いつかくる…その日まで。
かぶらぎさん家のケース』が、2015年6月5日に
NHKの情報番組で紹介されました。

首都圏では『ひるまえほっと』(午前11時05分~)と言う
番組内の「いまほん」と言う書籍を紹介するコーナーで
約3分間放映して頂きました。

地方局では『610ローカルニュース』(午後6時10分~)で
2015年6月1日~6月5日の間に放映されたそうです。
(放送場所は山形・福島・水戸・長野・甲府・金沢・福井・富山・
松江・徳島・高松・熊本・沖縄)

また番組終了後は、全国各所から温かい感想メールを
頂きました。ご覧頂いた皆様、ありがとうございました。

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「おやおや介護絵日記」が書籍化されました [その他]

ブログをご覧いただいている皆様へ。

いつもありがとうございます。
2015年4月に「おやおや介護絵日記」が
書籍化されました。(出版当時62話まで描いていた)
ブログの内容を研ぎ澄まし、イラストもさらに加筆され
冒頭はカラーページも満載で、読みやすい仕様になりました。

2015年4月20日より、一般書店およびAmazonなどの
ネットサービスで発売されています。
どうぞよろしくお願い致します。

●書籍概要
書名:「親が倒れた日から、いつかくる…その日まで。
             ~かぶらぎさん家のケース~」

著者:かぶらぎみなこ
価格:1188円(税込)
発売日:2015年4月20日
出版元:TOブックス

TOブックスさんのサイトはこちらから↓
http://www.tobooks.jp/books/book_317.html

AMAZONの情報はこちらから↓
http://www.amazon.co.jp/dp/4864723737

介護の本.jpg



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第52話「年表で4年間の在宅介護を振り返る」 [その他]

在宅介護が終了し、次は療養型病院での日々に移る
その前に、一度今までの4年間の出来事を
イラスト年表で簡単に振り返ってみます。

正直、自分が介護に携わる前は
介護と言うのは、体が不自由な人の日常ではあるけれど
その不自由さの状態は変動するものではなく、要は
「一度流れが掴めたら、後は同じ日々の繰り返し」だと
勝手に考えていました。

でも実際、患者の体調は徐々に変化し、それに応じて
介護の体制も変えていかなければなりませんでした。
そのため一概に「介護」と言っても、その内容は
実に多岐に渡る事がわかりました。
しかも年を重ねるごとに、少しずつ大変になっていきます。
そんな介護の実態が、この年表からは読み取れます。

その1:介護1年目(2010年4月~2011年3月)
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1年目の前半は、在宅介護の体制を整えました。
そして後半は、急に一人では何もできなくなった父の
状態を受け入れ、かつサポートするコツをつかむのに
苦心した日々でした。
主な項目は「リハビリのための入院」「民間救急車に乗る」
「介護保険の申請と認定」「訪問介護を利用する」
「介護用品のレンタル」「大震災起こる」など。


その2:介護2年目(2011年4月~2012年3月)
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2年目は緑内障手術の失敗から、視力が落ちていき失明に至るまで。
目が見える人と、見えない人とでは、当然ながら介護の大変さも
大きく違います。同時期に、他の家族も体調不良に悩まされ
まさに『我が家の大厄年』とも言える一年。
唯一の明るい話題は、姪の誕生ぐらいでしょうか。

父関連のトピックスは少ないものの、水面下では
家族中が(お産も含めて3人が入院を要するという)
てんやわんやの状態でした。
また世の中的にも、東日本大震災が起こった直後の
落ち着かない1年でした。


その3:介護3年目(2012年4月~2013年3月)
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3年目から、介護の内容がぐっと多岐に渡り、また本格的になります。
それだけ父の体の状態が悪化して、家族の負担も増えた時期。

主なトピックスとしては「脳梗塞の再発」「スーパーショートステイ事件」
「デイサービスに通い始める」「入浴介護の終了」「訪問歯科を受ける」
「車いす生活始まる」「トイレ介護本格化」「各種書類の名義変更」など。


その4:介護4年目(2013年4月~2014年3月)
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4年目は、命の局面に関る事件が相次ぎました。
色々手を尽くして介護をしているものの、どうしても
不自由な父の体は次第に弱っていきます。
自宅で看る限界に達した時期。

主なトピックスは「低血糖で意識障害を起こす」「むせこみの検査」
「再び訪問歯科」「足の指、壊疽を起こす」「足の切断手術」
「療養型病院に入る」「介護タクシーに乗る」
「総合患者支援センターや、社会福祉協議会を利用する」など。


以上、4年間の在宅介護のまとめでした。
次回からは「療養型病院での日々」が始まります。
病院は完全介護だけれど、だからと言って
「それじゃあ、もう何もしませんよ。やれやれ」と言って
丸投げするわけにはいきません。
それはなぜかと言うと…。

そんな「完全介護の実態」や、入院生活のコツ、
よそのご家庭の介護状況や考え方、
また病院でのびっくりトラブルや、感動などを
お伝えできたらと思います。
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第20話「病院 de ランチ」 [その他]

2010年から2011年にかけて
私は家族のつきそいや、自身の検診などで
様々な病院に行き、色々な院内レストランに顔を出しては
ご飯を食べていました。

ずっと昔、隣町の市立病院へ行った時
そこの食堂は、まるで大学の学食の様な味と、値段と、品揃え
だったので「まぁ、病院で食べるご飯なんて、こんな感じだろう」と
思い込んでいたのですが…。

今の世の中、各病院のレストランはずいぶんと
グレードアップしています。「すごいなぁ」と感心する事しきり。
今回はそんな、通院や入院の束の間の楽しみである
『病院レストラン』の話を少々。

例えば三鷹の杏林大学病院は、建物の最上階が
レストランになっていて、とても見晴らしが良いのが特徴です。
メニューにも限定ランチプレートなどがあり、オーダーすると
綺麗に彩られた装いの洒落た逸品が出てきます。
クリスマスの時は、それにミニケーキのサービスもあったりして
何だか嬉しい。またここは院内にスタバもあります。
それが出来た時は衝撃的でした。

町田の多摩丘陵病院では、人間ドックを受けた人用の昼食として
懐石の様な装いの、それでいてボリュームのある和定食が
出てきました。一説ではそのご飯を目当てに、この病院で
人間ドックを受ける人も、いるとかいないとか(笑)

そうかと思うと、某巨大総合病院のレストランは
メニューは色々多いけれど、何となく大衆的な味わいでした。
偶然、厨房に入っている人と知り合いになったので
聞いてみたら「蕎麦から何から、ほとんど冷蔵ですからねぇ」との事。
ああ、なるほど。
でも「上にある社員食堂のメニューは、全部手作りなんですよね」と。
それって何だか…逆じゃない?

中でも「「おお、これはすごいな。病院内なのに」と思ったのは
本郷の東大病院の上の階に位置する精養軒。
ここは1階にも、色々なレストランやカフェが入っているのですが、
入院していた妹の快気祝いも兼ねて、ちょっと奮発した
ランチを食べたら、さすがにおいしかったです。
サービスも良く、窓からは当時建設中のスカイツリーも良く見えて
病院にいると言う、ちょっと鬱屈とした気分を忘れさせてくれる
特別な空間になっていました。
niku.jpg

病院って、どんな理由で行くにしても
どうしても元気を吸い取られてしまう様な、そんな重い空気を
まとってしまう気がします。
だけど華やかで素敵な食堂は、そんな病院での気分を
一瞬だけど払拭させてくれる、そんな役割があります。

食べる事は生きる事。元気の源です。
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第1話「はじめに」 [その他]

2010年の春、69歳の誕生日を迎えたばかりの父が
脳梗塞(のうこうそく)を患い、介護生活に入りました。

「介護」は何の前触れもなく、突然我が家にやってきて
自分でも自覚がないまま気がついたら、まだ30代にして
要介護度5の、目もよく見えず、糖尿病の上に、人工透析をしている
親の世話をすることになりました。

介護はよく「大変」と言われるけれど、具体的には何が
どんなふうに「大変」なんだろう?
それにこれから先は、一体どうなるんだろう?
しかも我が家は、みんなそれぞれに仕事を持っていて
年中フル回転の状態です。そんな忙しい家で、果たして
介護と仕事を両立させることが出来るのだろうか?

てさぐり.jpg
次の展開が全く見えぬまま、まさに手探り状態で進む日々。
そんな毎日は確かに「大変」だけど、同時に思わぬユーモアや、
発見、人々の気遣い、ビックリするような事件などなど…
多彩な要素が詰まっていました。

親を題材にした日常の出来事を、作品に起こすのは
正直言ってどうかな…と、日記を綴り始めた今でも
ずっと考えているのですが、けれど
「これは助かるな、役立つな」とか
「おやおや、これはどうした事だろう!?」とか
そんな事前に知っていたら、良いかもしれないと言う
出来事や情報が、次から次にたくさん出てきた事を受けて
これから介護をされる方にも、今現在介護中の方にも
なんらかの形で私たち家族がしてきた経験が、お役にたてればと
そんな事を考えつつ、介護日記をまとめてみました。

介護はまさに症状や状況によって、十人十色ですが
「こんな介護生活もあるのか」と、気軽な気持ちで
読み進めてもらえたら嬉しいなと思います。
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