第79話「葬儀前後のご近所協力体制」 [お見送り期]

父が自宅に戻ってから、葬儀までの約1週間。
非常に慌ただしい家族に代わって、ご近所の方が
色々な形で力を貸してくれました。
その中には「これは、ありがたかった!」と思う
機転の利いたモノがいくつかありました。

まず訃報を聞いてすぐに駆け付けてくれたのは、
父を自宅で介護していた時もお世話になった、
近所のYさんでした。
Yさんはご自身も身内を3人介護して看取り、しかも
2か月前に実のお母様を亡くしたばかりでした。
なので機転の利かせ方も動きも、とてもスマートです。
まずご自宅の庭に咲いていた大輪の百合の花を
数本切って、枕花を用意してくれました。

矢野さん協力.jpg

次に父の顔を「入れ歯を入れて、整えた方がいい」と言って
それなりに見られるように、治してくれました。
亡くなった後、病院でも一応「死後の処理」として
それなりに顔を整えてはくれたのですが…それは少し
納得できないものでした。何故かと言うと病院が作る顔は、
あくまでスタッフさん達が見慣れた「病んだ状態の顔」だからです。

父の場合、Yさんが入れ歯を入れただけで、
大分元気な頃の表情に近づきました。
後日、出棺の折には納棺士さんが本格的に整えてくれますが、
その間にも自宅にはたくさんの弔問客がやってきます。
その方々に病んで萎んだ父の顔を晒すのは、あまりにも不憫。
なのでYさんの応急処置はありがたい計らいでした。

また他にも周囲からお借りしたり、頂いたもので
とてもありがたかったのは…
①大きめの花瓶・数個
②お茶菓子を入れる上品な器
③お昼ごはんや晩ごはんの差し入れ でした。

まず花瓶に関しては、連日かなりの量の花束が届いたので
いくつあっても重宝でした。

また遺族はいつ弔問客が訪れるかわからないので
ゆっくり食事を取る時間がありません。
なので昼食には立っていても、すぐに食べられる様な
おにぎりや、お稲荷さんなどがあるとありがたいです。
また夕ご飯の提供もありがたかったです。
夜は比較的時間が取れますが、何せ食事を作る
時間も気力もなく、疲れ果てているので。

食べ物の差し入れは、介護の時と同様に
Yさんや、近所の定食屋さんのKさんが、それぞれ自主的に
請け負って下さいました。
家族はこの時期、絶えず接客に追われ、様々な書類を書き、
葬儀の段取りを進めていたので(しかも仕事をしながら)
さながらフルマラソンをしているかの様な、体力を要していました。
なので食べる物はとても重宝でした。

加藤さん協力.jpg

これ以外にも
④自宅周辺の掃き掃除
⑤自宅周辺の防犯管理
などをYさんや、すぐ裏のご家庭が率先して行って下さり
とても心強かったです。

また別の方からは「『火事場泥棒』と言う言葉もあるから気を付けて。
こういう時は空き巣狙いも多く、変な電話もかかってきやすいよ。
自分の名前も言わずに、葬儀日程だけ聞く手口とか…」と言う
アドバイスも頂きました。確かに慌ただしくて落ち着かない
(しかも寝ていない)遺族にとっては、色々な事が手薄になりがちです。
これは改めてキリリと身が引き締まる助言でした。

更にご近所でこのような協力体制が整っていると、
遺族は間接的にも助かる事が多いです。
例えば「自分の立場では葬儀に参加すべきか、
何かお手伝いをした方が良いのか」と迷う場合は、
隣近所で采配を振るっている方に確認するとスムーズです。
万が一、遺族に直に「手伝った方がいいですか?」
「葬儀に出た方がいいですか?」と聞いたら、それがどんなに
謙虚な申し出であったとしても、遺族は「気にしなくて良いですよ」
としか言えないですし、逆に「お手伝いしますね」と言われても
「もう頼んでいる人がいるから」と、無下には断れないですから。
その点、隣近所が窓口になっていると何かと助かるのです。

余談ですが、うちの場合はこんな事もありました。

父の知り合いの方で、尺八を持っている方が
「葬儀の後、会場で献奏をしたい」と申し出て下さったのです。
献花とか献杯と言う言葉は聞くけれど、演奏を献(ささげる)と
言う事もあるんだなと、この時初めて知りました。
その方は今までも何度か、葬儀会場で遺族に向けて
演奏をされているとか。なので試しに「こんな感じです」と、
我が家に来て一度演奏してくれました。
が、しかし…。

人間、笑ってはいけない場面になると、逆に笑いが出てくるもの。
すごく神妙な場面なのに、なんだか急に
「私どうして今ここで、いきなり尺八の演奏なんて
聞いているのかしら」と、つい冷静に分析したら、
妙に可笑しくなってきました。
ふと見ると、傍らでは弟も笑いを噛み殺しています。
こちらは、うっかり楽譜を見たら「ポペペ、ペポペポ」という様に、
音符ではなく全部カタカナ表記だったらしく、度肝を抜かれた末の
笑いだったようです…。果たしてこのような状態で
式本番、我々は大丈夫なんだろうか!?

尺八献奏.jpg

しかしその心配は杞憂に終わりました。
実際に通夜の席の終盤に、遺族だけを残して行われた献奏は
ものすごくしっとりと落ち着いた、静かな余韻をもたらしました。
葬儀と言うのは、恐らくどこもそうだとは思いますが、
とても機械的でテキパキした、マニュアル通りの流れ作業です。
余韻よりもスムーズな進行に重きを置いた感じです。
それはまぁ仕方がない事。
でもこうした、マニュアル以外の情のこもった演出があると
そこで初めて、ホッと息をついて落ち着ける心持がしました。
「ああ、静かに優しくお見送りをするんだな」と。

家では何であんなに可笑しかったのでしょう。
所変われば…かもしれませんが、不思議なモノです。
なので演奏後は心底感謝を伝えられました。
その方によると、やはり喜ばれるご遺族が多いそうです。

人の情のかけ方や、遺族の支え方には色々なやり方があると
しみじみ感じました。


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