第78話「葬儀。最後の別れ」 [お見送り期]

2016年6月15日~16日

父の葬儀の日。
私は朝からせっせと団子を作っていました。
そして夕方、団子(他)を持って斎場へ。

父の花束1.jpg

父は生前よく「オレは一番広い式場で葬式をしたい」と
言っていました。なので遺言通り、一番広い部屋
(140人ぐらい対応)を取ったのですが…。
大きな部屋を取るのは容易いが、果たして参列者が
そんなに来るものなのか?
これで人が来ない時ほど、悲しい事はないんじゃないか
…と、家族としては若干不安を抱きます。

今も現役で仕事をしている人ならともかく、
介護が始まって、更に入院してからは、外の世界との
関係がほとんど途絶えていた父です。世間的にもう
忘れられているんじゃないだろうか…と、思ってしまいます。

けれど、いざ式が始まってみると部屋に入りきれなかった方が
廊下に溢れ、その数はどんどん、どんどん増えていきました。
「ああ、ありがたいなぁ」と、駆けつけて来て下さった方々を見て
心からそう思いました。

葬儀会場にて.jpg

しかし同時に「なぜ、こんなにたくさんの方が?」と
不思議な心持もしました。
病院に居た2年8か月、父はほとんど誰とも会わなかったのに。
社会との関係は、完全に切れてしまったと思っていたのに。

きっと…人が(それなりの年月を)生きてきたと言う事は、
これだけ重みがある事なんだと思います。
と同時に、参列者の方々を見ながら
「やっぱり父の最後の言葉は『頼んだぞ』
だったんじゃないかな」と改めて思っていました。


翌日は告別式が行われました。
「お顔に触れられるのは、これが最後ですよ」との
葬儀社さんの言葉に、そっと父の顔をなでます。

透析をすると体がかゆくなる人が多いので
いつも頭を掻いてあげていたけれど「もうその必要もないのね」と。
そして頬をなでながら「あんなに一生懸命、いつも綺麗に整えて
もらっていたのにね」と思いながら。
そう、あんなに介護したのにね。もう灰になってしまうのね。
私がずっと看てきた日々は、何だったんだろう。
費やしてきた時間は無駄だったんだろうか。
悲しみ以上に、そんな無力感に襲われそうになります。

でも、それが介護なのかもしれない。
強いては、こういう虚しく、儚い気持ちも全部抱えて
それが「生きる」と言うことなのかもしれない。

父にはずっとたくさんの言葉をかけてきました。
目が見えなくても、外の世界の様子がわかる様に。
少しでも気晴らしになり、慰めになるように。
棺のふたが閉じられる直前、父に向かって
最後の言葉をかけました。

「おとうさん、またね。ありがとう」


20160520空の雲.jpg

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