第75話「真夜中の電話、父との別れ」 [お見送り期]

2016年6月8日(水)

5月の最後の日曜日、病院にお見舞いに行くと
看護師さんが「お父様が昨晩嘔吐し、血圧が下がりました。
今は落ち着いていますが、酸素チューブや心電図の機材など
体が管だらけになっているので、驚かないでくださいね」と言いました。

今までも時おり、こういう状態になっては回復する…を
繰り返していました。なのでまた、その流れだろうと
思っていたのですが、どうも今回は呼吸が荒い様子です。
それでも徐々に熱も下がり、点滴も外れ、一時は
ほぼ元の元気な状態にまで戻ってきていたのですが
酸素チューブを外す段階になると、ぐっと酸素量が減り
肩で息をし出しました。
なので今回は特に、お医者様も看護師さん達も慎重に対応していました。

そんな状態が10日ほど続いた、6月8日の昼間。
「2日前の深夜にも、呼吸が荒くなって一時的に酸素マスクを
はめたらしいよ」と言う私の言葉を受け、普段は仕事が忙しい
母も珍しく一緒にお見舞いに行きました。

病床の父に声をかけると、ぱちっと目を開いて
私の顔をじっと真っ直ぐに見ました。
それまでも、ごくたまに目を開ける事はあっても、
もう何も見えてはいないので、視線はいつも虚空をさまよって
定かではありませんでした。
けれどこの時は、なぜかしっかりと焦点があっていた。
なので「見えていない」とわかっていても、その目を見たら
「ああ、元気で家に居た頃の顔みたいだな」と思えて、一瞬懐かしかった。

その後、父は2度ばかり枕から頭を起こして
一生懸命、何かを伝えようとしていました。
私達も「どうしたの?何か言いたいの?」と懸命に耳を
そばだてるけれど、もう父の声は言葉にはならず
「きゅーきゅー」と、喉から空気が漏れる音がするのが精一杯です。
それでも何かを言おうとしている事は伝わるので
「何か言いたい事があるんだね。それはわかるよ」と言うと
その内に力が尽きたのか、スーッと寝入ってしまいました。

伝えたいこと75.jpg


結局、それが最後になりました。

同じ日の8日深夜、11時40分ごろ病院から自宅に電話が入りました。
今までも時おり危険な場面はあり、そのたびに
「いつ様態が急変してもおかしくはない」とか「心づもりを」と言う言葉を
お医者さまから言われていたので、この時もそういう類の事を告げる
電話だと思いながら、受話器を取りました。
しかし電話口の看護師さんが告げたのは
「お父様が、息をしていない様です」と言う一言でした。

…息をしていない!?
危ないとかそういう状態ではなく、「息をしていない」って!?
それって亡くなっていると言う事なの?
それとも蘇生の可能性があると言う事なの?
予想外の言葉に戸惑っている私に、看護師さんは
「確認をしていただきたいので、どれぐらいで病院に来られますか」と尋ねます。
「出来る限り早く向かいます」と伝えてから電話を置き、その後は
母と手分けして身支度をしました。

こういう時がいつかは来る…と、覚悟はしていましたが
実際に起こると、意外とバタバタしてしまい、考えがまとまりません。
この段階で一番冷静で、的確だったのは母でした。
母は必要なものをしっかりと用意して家を出ました。
私はその間、病院に来られそうな親族に電話をかけましたが
真夜中と言う事もあり、連絡が取れたのは弟だけでした。
そして偶然自宅前で休憩していたタクシーに乗って、病院に向かいました。

真夜中の支度75.jpg

ちなみにこの時、母が用意したもので実際に役に立ったのは
「葬儀社さんの連絡先(電話番号)」と
「父の私物を入れる大きな袋」でした。

また「着替え用の服」なども持っては行ったのですが
この病院では帰宅用の浴衣がちゃんと用意されていたので
服は不要でした。
あと気が付いた点では、行きは自宅の前にタクシーがいたけれど
帰りは足がないので「タクシー会社の連絡先(電話番号)」も
あらかじめ控えておくといいと思いました。
(自分の家には車があるとか、親族に車を出してもらおうと
思っている場合でも、いざという時に運転する人がお酒を飲んでいたり
寝入っていて電話が繋がらなかったりと言う事もあります
ちなみにうちの場合がそうでした)

またうちは葬儀社さんをあらかじめ決めていたのですが
仮に葬儀社さんが特定していない場合は
その時、病院に待機している業者さんや、病院の方で
手配する業者さんに依頼する事になる様です。
以前、うちの親戚筋で不幸があった時も「ローテーションで病院に
待機している葬儀社さんがいたので、その場でお願いした」人がいました。
けれど「いざ葬儀をしようとしたら、希望の式場とあまり関わりがない
業者だったせいか、日程がなかなか取れず
すごく待たされた」とも。(ご参考までに)

実際に「様態が危ない」もしくはうちのように「亡くなりました」と言う
連絡を受けてから、業者を探すのは無理なので
事前に「ここの業者さんにしましょう」と決めておいた方が
無難だと思います。


病院に到着した私たちは、まっすぐ父のベッドに向かいました。
そこにはいつもみたいに、普通に寝ている父がいて
「もしかしたら、呼びかけたら蘇生するのでは」と言う思いもありました。
けれどいつもの様に「おとうさん」と、3回呼んでみたけれど、
動く気配にはありません。
そこにあるのは、父の「入れ物」だけでした。

当直の看護師や介護士さん曰く「11時10分に見回りした時は
穏やかに息をしていました。でも20分後に再度確認した時は
もう息をしていませんでした」と。
父は誰にも看取られず、一人で静かに逝ってしまったようです。

死亡確認をしてくださった先生は、今まで見たことがない方でした。
「私は常勤医ではなく、深夜だけの当直医です。
なので患者さんのここ数日の様子を看護師から聞くと…」と
説明を始めましたが、恐らくこの先生よりも日参して様子を見ていた
私の方が遥かに状況に詳しいかもしれない。

なので「うん、あってる。その説明でほぼ間違いない」と
心の中で相違点を慎重に確認しながら聞いていました。
死因は(長年の人工透析で腎臓機能が弱っていた事による)
『慢性腎不全』でした。先生曰く、心臓か肺が急に停止したのでしょう、と。
全く苦しんだ様子がなかったことが救いだ、と言われました。
まるでそこまでが寿命で、そこに到達したから旅立った様な
そんな静かな最後でした。

説明75.jpg

死亡確認が済むと、すぐにスタッフさん達が父の身支度をしてくれました。
その間、私たちは葬儀社さんに連絡をします。
40~50分ばかり到着を待つ間、医師から死亡診断書を受け取ったり
入院費の支払いの手続きを確認しました。
そして真夜中にもかかわらず、きちんとしたスーツ姿で
葬儀社さんがお二人現れました。当たり前と言えば当たり前ですが
深夜の病院にきちんとしたスーツ姿の人…と言うのは、
すごくインパクトがあるものです。やはり。
「葬儀社さんって24時間臨戦体制なんだ。すごいな」と
そんな事につい感心してしまいました。

葬儀社さんは私たちに、父を白いシーツにそっとくるむと、
どこに安置するかを確認してから、静かにストレッチャーに乗せて
運び出しました。私達は同乗できなかったので、その場で
タクシーを呼びます。車を待つことしばし。
その間、当直の看護師さんと介護士さん2人が
玄関先まで立ち会って下さったので「介護士さんって
患者さんの世話をするだけではなく、こういう場面にも
立ち会うお仕事だったんですね」と言う私に、彼らは
「そうなんです。切ないんですよ。かぶさんは2年…いや、
もっと長くいましたもんね」と、涙ぐみながら見送って下さいました。
昼の時間なら、手の空いているスタッフさんがもっとたくさん集まって
見送って下さいます。でも少人数でも、心のこもった見送りに
「この病院で預かって頂けて、本当に助かりました」と
感謝の言葉を残して、病院を後にしました。

父の死の報を受けてから、この間たったの2時間弱です。
末期の方が多く、しかも霊安室がないこの病院では
いつも迅速に「お家に帰られる方が多い」とは思っていましたが
なるほど、こんなにテキパキと機能的だからなのね。
2年半も生活していた病院を去るのが、わずか2時間とは
呆気ないものです。でもまぁ、逆にあんまり執着があっても困るけれど。
急に降り始めた涙雨の中、お世話になったほとんどの方に
挨拶もできないままの、静かな帰還でした。

タクシーで葬儀社さんの車を誘導しつつ、自宅に戻ると
業者さんは、すぐにテキパキとベッドに白いシーツをかけて
父を横にし、手前にはお線香などの細々した物を設置した台を
用意して「続きはまた明日」と言って、帰って行かれました。
その後、私達家族は遠方の親族に電話連絡をしてから、休む事に。
でも当然ながら、一睡も出来ず朝を迎えました。

病院に入った時から「帰りたい」と言っていた家に
父はようやく戻ってきました。
もう好きなものを食べ、目も見えて、話もでき、そして両足で歩く事も
可能です。かゆい所も、痛い所もありません。気持ちの上では。
不自由な体から、ようやく自由になれました。
でもそれは、家族にとって大きな寂しさを伴うものでした。

父は最後は母を待ってから逝ったのかもしれない。
最後に伝えたかった言葉は…通常なら「ありがとう」だけど
そういう事を言うタイプの人ではなかったし、むしろ力強い感じでも
あったから、もしかしたら「頼んだぞ」だったかもしれない。
恐らく本人も、もうこれが最後だと察していたのかもしれません。

父帰宅75.jpg

しとしと降り続く雨の中、静かで寂しい父の帰宅。
が、しかし。
静かで寂しかったのは、夜明けまでのほんの数時間だけ。
朝が来てからは、「寂しい」と思う暇もないほどの
怒涛の日々がやってきました。


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