第72話「病院内の出会いと別れ」 [周囲の人々]

2015年・秋

真夏の暑い時が、なんとか去っていきました。
暑い時期は、ジリジリと殺人的に焼きつく日差しを浴びるので
病院に通うのも一苦労です。私も病院に行くたび看護師さんや
お掃除のスタッフさんなど、様々な方から
『大丈夫ですか』『頑張って』と、逆に入院している患者さん以上に
労わられていましたが、なんとか秋を迎えてホッと一息です。

けれど病院は季節の変わり目になると、お別れも増えます。
父が入院した当初、賑やかだったり元気だった方々も
少しずつ体が弱っていき、気がついたら静かに
ベッドが空き出しました。
ある看護婦さんの話では「脳梗塞で寝たきりになっている人は
割と容態が安定しているから元気なんだけど、私が見た範囲では
透析をしている人の方が、容態が急変される方が多い気がする」と。

確かに透析している時点で、腎臓が上手に機能せず
負担がかかっている状態だし、また長年の治療で血管が
もろくなってしまうので、様々な弊害が生じやすいのかもしれません。
色々お話を聞く中には、認知症を併発した患者さんが
透析の管を外してしまうので、透析が受けられなくなってしまったとか
血管がもろくなったせいでシャント(血管と透析時の管をつなぐために
透析患者が体内に埋め込んでいる機材)がダメになり
結果として透析を受けられなくなってしまった方など
私たち家族が想像する以上に、様々な理由がありました。

そして、介護おばさんが親身に面倒を見ていたおじさまも。
その頃は、部屋も透析時間帯も全く父とは別だったので
たまに廊下で見かけては、挨拶をする程度の交流になっていましたが
「どうも具合が悪そうだな」と言う雰囲気は察していました。
けれど一時は持ち直したようだったので、安心していたのですが…
ある日病院に行くと、ベッドが整えられていました。

正直に書くのは心苦しいのですが、入院した当初から
あれだけ煩わしかった介護おばさん。
色々話しかけては、干渉したり、介入したり、
絶えず病院や親族の愚痴をこぼすので、返答に困った
数々の日々。
まるでご自身自らが通いではなく、病院で暮らしているかのような
存在感があったあのおばさんが、その日を境にもう病院には
来なくなりました。

病院での別れって、こんな風に突然で呆気ないんです。

けれどおばさんはあまりにも存在感が絶大だったので
その後もしばらくは、人々の記憶と話題に登場するのですが
それだけに一層、いなくなってしまった寂しさも大きい。
「おばさんも一日中退屈で、寂しかったんだよな。
もっと話を聞いてあげれば良かったかな」と、ちょっと反省しつつも
「でも距離の測り方が良くわからないし、私も忙しいから
やっぱり(私のドライな性格的に)無理だわ。ごめんなさい」と
思ったりする。ほんと、優しくなくてスミマセン。

でも、やっぱり。
一日、二日と、日が経つにつれて、おばさんの存在感は薄れていき
半月も経つと「おばさんがいない日常」が定着して
病棟の日々は当たり前のように淡々と過ぎていきました。
おばさんがいなくなった事よりも、その方が寂しかったですね。
そして、父がいなくなった後も、きっとこんな風にベッドは片付けられ
話題に上らなくなり、いつしかサラリと忘れられていくんだな、と。

何年ここにいても、何度お見舞いに通っても、様々なスタッフさんと
言葉を交わして交流しても、父がここで頑張って闘病した日々や
寄り添った家族の思いは、ここからサラリとなくなっていくんだな。
病院で過ごすと言う事は、なんて形式的で味気ない物なんだろう。
でもまぁ、いつまでもここに色々残っていても困るけど。

私達はそんな「サラリ」とした気持ちを抱えながら、病院で過ごします。
いや、これは別に病院の入院患者に限った話ではないと思う。
人が生きてきたその背景には、70年とか80年分とかの重みがあるはず。
逆に幼かったり、若くして亡くなった人にだって、周囲に
大きな影響を与え、大事な存在だった人だっているはずです。
でもそれだけのかけがえのなさや、貴重な経験を持った価値ある重みも
その人がいなくなると、気と言うか存在感がフッと薄れ
いつしか自然になくなってしまう。

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「なんて呆気なく、虚しいこと」と、心底思います。
私たちが時間をかけて、想いをかけて、築き上げてきた諸々は
一体なんなんだろうと。
それでも大事な人がいなくなっても、日常は淡々と続いていきます。
だから逆に「時間には限りがある。私も(誰も)明日の事はわからない。
終わった後は全てが無に帰すかもしれないけれど、それでも
人生、後悔だけはしたくない。今を、精一杯生きよう」と
気持ち新たに思います。

その後、介護おばさんがいなくなった病院は、驚くぐらい普通の病院になり
お見舞いの方も、スタッフさん達も、ごくごく普通の方達ばかりになりました。
それが当たり前なんだろうけれど、それだけに改めて
「介護おばさんの強烈な存在って、一体なんだったんだろう」と
思ったりします。と同時に「色々と教えられることも多かったな」とも。

きちんとしたお礼も、サヨナラも言えなかったけれど
寂しいはずの病院を、日常的な家庭の雰囲気で彩ってくれた
介護おばさんには「ありがとうございました」と、いつか
再会する事があったら伝えたいなと思います。

こうしていつの間にか、病棟では父が一番入院期間が長い
男性患者になりました。入院して1年と9か月が過ぎようとしている
頃のお話です。

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