第46話「足の指、壊疽(えそ)を起こす」 [入院記]

2013年11月3日(日)

緊急入院から一夜明けて、再び病院に行くと
父の診断は「尿道感染の疑いあり。この病院で
2週間の入院を要する」と、改まっていました。

取りあえず転院もせずに、2週間は預かってもらえると
わかって、家族はホッと胸をなでおろしました。
しかし、すぐに看護婦さんから「足の指は前からこうでしたか?」
と尋ねられ、めくられた布団の中を見てみると
父の右足のひとさし指が、真っ赤に染まっていました。

それは例えるならケロイドのような、えぐれているような。
衝撃的な状態でした。
確かに1か月ほど前から「黒ずんでいる」と指摘され
今後血管外科へ診察の予約も入れていたのですが、
昨日家を出るまでは、全く異常がなかったのに。
入院した途端に炎症が始まりました。

翌日、ERから一般病棟に移された父は
「足の指が3本ほど壊疽(えそ)を起こしています。
そこを感染源として、高熱が出ている状態かもしれません」と
正式に診断が下されました。
担当医は救急車で運ばれた時にお世話になった
(なぜかテンパっていた)若い男のY先生です。

先生は「今日明日、どうなるわけではありませんが、
いつ様態が変化しても、おかしくはない状態です。
いざという時の為に延命は希望されますか?」と言いました。
えっ、そんなに悪い様態なの!?
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いきなり危機的な状況に陥った父に、
家族も親族も大慌てです。
父はすぐさま色々な管につながれ、高熱のために
ぐったりとし、食欲もない様子です。

入院当初はとりあえず点滴で栄養を取り、それ以降は
看護婦さん達が懸命に、口から栄養を取らせようと
努力してくださいましたが、それも叶わず、
結局入院してから約2週間後の11月末に
鼻からチューブで液状の栄養剤を直に胃に届ける
経管栄養が行われることになりました。
(栄養剤は、ちょっと森〇のマミ〇に似た色合いです。
ちなみに母方の叔母は、素で「味噌汁か」と思っていたようですが)
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とりあえず父は、抗生物質を投与されたお蔭で
感染の進行は一時的に止まったものの
大元の原因を断っていないため、容態は一向に
好転しませんでした。
我々家族も、いつ急変するかもしれない事態を前に
落ち着かない心境のまま、毎日病院に通う日々です。

ちなみに病室では、乾燥を防ぐために肌に薬や乳液を塗ったり
レンタル衣服の申し込みや、更新手続きなどを行ったり
先生の説明を聞く…などの介助をしていました。
更にこの病院では、おむつと(体の下に敷く)バスタオルが
持ち込み可だったため、それらを切らさない様に
自宅から頻繁に届けたりもしました。

担当医のY先生は、まだ年が若いせいか
少々説明が足りない所もあり、家族が不安になる場面も
色々とありましたが、幸いチーフ看護師のHさんが
とてもしっかりした方だったので、この人の存在に
大いに助けられました。

Hさんはとてもテキパキした働きぶりで、いつも明るく朗らか。
そして家に居た頃の父の状況を、家族から丁寧に聞き出して
患者に合わせた看護をしようと、色々試みてくださいました。
「これほどの状態の患者さんを、ご自宅で看られていたなんて。
本当に頭が下がります」と、言って下さったHさん。
ともすれば気持ちが塞ぎがちなこの時期に、彼女に出会えた事は
家族にとって一筋の明るい支えになりました。
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その後、先生方の判断により、父は右足の
壊疽(えそ)部分の手術を行う事が決まりました。
ちなみに正規の担当医であるY先生は、腎臓内科の専門です。
しかし手術の際の担当は外科の先生になるので、当然ながら
一時的に担当医が変わるのですが…
このY先生、いまいち言葉が足りません。

本来ならY先生が、音頭を取って進めるべき事が曖昧になっていた。
そのため外科医と、看護師と、家族の間で上手く連携が取れない
状態になり「それで手術の説明(もしくは同意)は、いつになるんだ?」と
みんながみんな、相手の出方を待つはめに。
その結果なんと10日間も、父は保留状態で放置されていました。
さすがにおかしいと勘付いた看護師のHさんが
「Y先生からの説明を受けましたか?」と、家族に確認した事で
ようやく再び状況が動きだしました。

更にこのY先生、年末になると患者や家族に何も告げないまま
いきなり移動になり、気が付いたら担当医が変わっておりました。
その頃になると、さすがに「この先生はおかしいかも」と
家族も思い、Hさんに「Y先生って腎臓内科の専門医…ですよね?」
と確認すると、Hさんはものすごーく言葉を選びながら
「そうですね。腎臓内科の先生…に、なりたい先生です」と
教えてくれました。
なんじゃそりゃ。

要はまだまだ新人さんで、各部署を移動しながら
経験を積んでいる段階の方なんだとか。
そして「年末は病院内はどこの部署でも移動が
多い時期なんですよ」と、担当が急に変わった理由も
Hさんはさり気なく教えてくださいました。
なるほど、そうでしたか。

救急車で運び込まれた時から回想して、色々な事が
納得できました。でもいくら忙しいとはいえ、ひと言ぐらい
先生から挨拶と言うか、説明があってもいい気がしますが。

病院では、色々な先生にあたるものだなと思いました。
必ずしも担当医がベテランとか、専門医とは限らないし
逆に新人さんでも、良い先生もいるだろうし。
万が一「おかしい」とか「何か足りない」と感じたら、
先生以外でも周囲の色々な人(看護師さんとか、
医療連携室の方とか、スタッフさん達)に
出来る範囲で確認するのも、ありだなと痛感しました。

そして家族や身内は、どんな時でも極力
焦らず、冷静に。
今回のような緊急入院(非常事態下)では
どうしてもテンパってしまう人もいますから。
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そんな内科での、てんやわんやをよそに
刻一刻と父の手術日は迫っていました。
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