第4話「民間救急車に乗った、はじめて」 [入院時のコツ]

2010年4月8日

再び救急車で病院に運び込まれた父は
「また新しい脳梗塞が出来た」と診断されました。
そして今回詰まった箇所は、言語障害と、足が立たない、と言う
2つの症状を生み出した様子です。
かくして父は左半身をほとんど動かせず、言葉も何を言っているか
容易には判読できない…と言う状態になりました。

再会したコトー(似)先生曰く「今回は長期入院になりそうです。
集中治療室ではこれ以上の対応は難しいので、
リハビリが出来る病院に、転院する必要が出てきます」とのこと。
再発.jpg

それならそれで仕方がない。
けれど家族が出した「できたら自宅から車で30分以内で行ける範囲で
透析設備があるリハビリの病院」と言う、条件が満たされる施設は
なかなか探すことができません。
かくして、見つけては断られ…を、何度も繰り返しました。
転院先ない.jpg

「最悪、山奥の方の病院しかないかな…」と諦めかけていた頃
隣の隣の町の病院が受け入れてくれる事になりました。
そこは自宅から車で約20分、自転車でも40分ほどの
規模は小さいけれどキレイなH病院。
早速転院手続きと、父の症状を伝えるために出向きましたが
そこで優しそうな主治医の先生が言う事には
「受け入れる時は『民間救急車』を使うしかないですね」と。

民間救急車?…それは一体何?

それは例えば寝たきりの人を、今回みたいに転院させたり、
旅行に連れていったり、引っ越しさせたり…する時に、
非常に重宝な乗り物の様です。
確かに父はもう急患ではないので、普通の救急車には乗れず
かと言って、通常の車ではベッド(ストレッチャー)ごと
運ぶ事は不可能だし。
そういう時に活躍する乗り物の様です、民間救急車とは。

こうして桜の咲く頃、私たちは民間救急車に乗って転院しました。
民間救急車.jpg

初めて乗るその救急車は、サイレンも出さないし、運転も普通車と
なにも変わりない様子。
(確かに発病した時と違って、急ぐ必要もありませんしね)
車内には酸素ボンベとか、AEDとか、吸引器とか、酸素マスクなどの類も
用意されているけれど、通常の救急車よりもこれらの救命器具類は
コンパクトに収納されている感じがしました。
またスタッフは2人で、1人が運転をし、その間にもう1人が
料金や会社の概要を伝えてくれました。

それによると「会員登録をしてくださると、次回から割引価格で
ご利用いただけます」とのこと。
なるほど。仮に入会金1000円を払っても、この先こういう機会が
いつまた訪れるとも限らないし、それならこの場で入会した方が
割安かもしれません。
そう思い、車内でササッと入会手続きを済ませました。

すると…今度はスタッフさんが恐縮がりながら
「実はうちの会社、元が葬儀社なんです。
だから会員さんには時々葬儀や、仏具関係の案内が
届くと思いますが、気を悪くしないでくださいね」と言うじゃありませんか。
いやいやお兄さん、そりゃ気を悪くするご家族もいるわよ、きっと…
と、突っ込みたくなったけど、ここはあえて受け流しておく。
元葬儀社.jpg

ところでこの民間救急車、気になる料金は
走行距離や移動時間で決まる仕組みです。
ある程度の基準(相場)はあって、上記のどちらか多く
かかった方の値段が適用されるとのこと。
ちなみに今回は隣の隣の町に運ぶ、約20分ほどの距離で
料金は約3万円でした。正直「高いなー!!!」と思うけれど
スタッフさんの話では「前に関西出身の方が、単身赴任で東京に来て倒れて
民間救急車で(関西の)ご自宅まで送り届けた例もあります」とか。
それは大変!(お金が大変!!!)
うむむ、それに比べたら、この程度の距離で良かった
と思うべき…かもしれない。
kyukyu2.jpg

と、この時は自分の中で納得し
むしろ「ありがたい乗り物がある物だ」とも思ったのですが…
実は後日「もしかしたら、あの時、民間救急車に乗らなくても
良かったのでは!?父程度の状態だったら、介護タクシーで
事足りたんじゃないか?」と、気付くエピソードに出くわします。
だけどそれがわかるのは、この日から約4年も後のこと…。

介護タクシーに乗る話は、また後ほどお伝えしますが
つくづく今思い返しても、この高い民間救急車に乗った事は
このネタを書くため以外に、何の得にもならんかった…
と言う気がします。

なので
『病院の先生は転院の際の輸送手段に弱い』と
言う事が、今回の教訓です。
輸送手段.jpg

仮に主治医や担当医が「〇〇を用いて他の病院に搬送します」と言っても
その交通手段を鵜呑みにせず、まずは各病院の「医療連携(係り)」などに
確認するのが確実です。
ここの担当の方々は、先生方よりも病院同士の連携に長けています。
医療連携係.jpg

話を元に戻しますが…そんな道中の末、
父は小〇市にあるH病院に転院しました。
入院予定は2~3か月ほど。
その間のリハビリで、どこまで回復できるか…に
今後がかかっていると、主治医の先生に言われました。
例えばどの程度歩ける様になるのか、どの程度の生活が
家庭で出来るか、など。

そして我々は、とりあえずの目標を
「せめて家の中だけでも、伝い歩き出来る事」に設定。

かくして3か月後のめどが全く立たない状況の中
リハビリ重視の入院生活が始まりました。
でも家族はそんなに悲嘆もせず、むしろ
「家よりも食事は徹底管理されているし、外にいるよりも
温度調整が出来ているから、病院にいた方が
お父さんにとっては安心かもね」と、まだのんびり思っていました。

そんな2010年の春の日、です。
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