第50話「看護師さんに教わる理想の介護、そして真冬の奇蹟」 [周囲の人々]

2014年1月

療養型病院への転院が決まった後は、
今までお世話になった施設や病院などに
利用停止の手続きや、挨拶に伺いました。

本当はきちんと転院が済んで、落ち着いたのを見届けてから
と思ったのですが、透析先の病院に通う方々から
『どうやら新しい患者さんを入れたいみたいですよ。
ベッドの空きが欲しいようだから、お父さんの動向を
病院側も早く知りたいみたいです。ご挨拶に行かれた方が…』
と言われ、利用停止に踏み切りました。

その他に利用停止の連絡を入れたのは、
デイサービス先と、ケアマネージャーのSさんでした。
そしてその反応は、実に三者三様。
デイサービス先のスタッフさんが、また会いたいと言って
泣いて下さったのに対して(実際後日、数名のスタッフさんが
何度か転院先のJ病院に、お見舞いに来て下さいました)
ケアマネのSさんは、とてもクールで淡々とした対応でした。
この方には大変お世話になったけれど、感情的なやり取りは一切なく
終始一貫して、ビジネス的な態度で私たち家族と接していました。
用意したお茶にも決して手をつけなかった、とてもまじめな方でした。
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透析先の病院では、婦長さんが対応してくださいましたが
簡単な挨拶やお話はしたものの、ここもビジネス的な手続きのみ。
最後に婦長さんが気を遣われて「お父様は楽しい方でした」と
言って下さいましたが…。
父は決して『楽しい』と形容されるタイプではありません。
「穏やか」とか「物静かな」だったらわかるけれど、楽しくはない。
この病院に父は10年も通っていたけれど、この方はあまり
看ていなかったんだなと、そんな印象も受けました。
でも、それもまた仕方ありません。
それぞれの対応が、それぞれに正しい。そんな気がします。

それに父が透析に通い始めた当初から、ずっと関わっていた
看護師さん達は、変わらず親切に父に接して下さっていました。
途中で病院内の人事や、システムが変わっても、
また父の状態が悪化して手がかかるようになっても、
最後まで何とかここで適切に過ごせるよう、努力して下さった。
その一部の方たちの思いやりには、未だに感謝の念を覚えます。

次いで、家庭内でレンタルしていた介護用品も
全て返却しました。
(これもまだ、療養型の入院先に無事収まるか不安だったので
少し様子を見た後で、返却したかったのですが)
「入院後2か月間は無料でリースできますが、3か月目からは
また実費がかかります」と言われたので、一度引き取ってもらいました。

なので、こうなった以上はもう療養型病院に
何が何でも受け入れてもらわなければ…と、
退路を断たれた状態でした。

それでも2か月間の入院を経て、家族の体調も少しずつ
良くなっていくと言う、明るい兆しも家庭内で出始めました。
様々な体力的な介護をしなくて済み、体が楽になった事や
夜中も安心してぐっすり眠れること。
食事の世話も、洗濯も、食器洗いも、生活の全てがスムーズです。

病院にお見舞いに出向いても、この頃になると余裕が出て
ようやく笑って、看護婦さん達と雑談が出来るようになりました。
そんな折、看護チーフのHさんが言った言葉が印象に残りました。

「ご家族は今まで、極限を超えた介護をされてきました。
介護に関る人が全員笑える状態にいる事、それが理想の介護です」と。
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今まで介護をしていても、自分の家庭の事しかわからなかった。
このやり方が正しいのか、やり過ぎなのか、もしくは足りないのか。
そして結局は手におえなくて、病院に預ける事になってしまった。
もしかしたら、もっと良いやり方があったんじゃないか。
もう少し頑張れたんじゃないか。
自宅で最後まで看られなかった事は、可愛そうなんじゃないか。

そんな疑問と、不安と、罪悪感は、いくら精一杯の介護をしても
どうしても拭いきれませんでした。
だけど、沢山の患者さんを見ている看護師さんに
「これは(自宅で看る)極限を超えている」と言われた時
気持ちがフッと楽になりました。

みんなが笑える介護は、みんなの気持ちの中に
「余裕」がなければできません。
だけど一寸先の状況が全く見えず、手探りで不安な中を
進んでいくのが介護です。
毎日がいっぱいいっぱいで、余裕なんて全然ない。
だけど、それでも、介護する側が、いっぱい、いっぱいだと
介護される側も、周囲も、みんなが辛くなってくる。
何処かで上手に逃げ道を作る、それが介護には
一番重要な事じゃないかと、実際に自分が経験してみて思いました。

逃げ道は、行政を頼るのでもいい、近所を頼るのでもいい、
または病院でもいい。
どんな手を使っても、いつも『笑える』状態でいる事。
そんな「理想の介護」を目指したいです。

余談ですが
話はほんの少し戻りますが、ちょうどクリスマスの日。
病院から駅に向かうバスに乗り込むと、なぜか内装が
キラキラ華やか。よく見るとサンタに扮した人が、
車内に数名います。そしてサンタさん達は、袋の中から
いきなり私にプレゼントをくれました。

実は知らずに乗ったそのバスは、バス会社が企画した
「クリスマスバス」でした。
年に一度クリスマスの時期だけ、それも決められた日に
一日一路線しか姿を現さない、超レアなバスらしい。
しかも私が乗ったのは、最終日の、最終便でした。
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なので本来は、子供にしか渡さないプレゼントですが
最後と言う事で乗り合わせた大人にも、特別サービスでくれた様です。
「大人も、もらっていいんですか?」と問うと、サンタさんは笑顔で
「サンタはみんなにプレゼントを渡します」と言いました。
その車内はものすごく温かい雰囲気に、ずっと包まれていました。
そして降りてからも、バスの中からサンタさん達が、
ずっと私に手を振り続けてくれました。

父の入院から2か月。実はこの間、介護以外にも
イラスト仕事上では、ずっと神経を張りつめた厳しい作業が続いたり
また勤め先では、人間関係や職場環境が非常に険悪だったりと
過度のストレスがありました。加えて、父の生命の心配です。
いつも重たい気分で帰宅していたバスの中、この日初めて
『楽しいな』と言う、温かい気持ちが湧きました。

クリスマスバスが、駅から病院をつなぐ、この路線を走ったのは
意図してか、偶然かはわかりませんが、それでもこの線で
良かったと思いました。
クリスマスに病院に通わなくてはいけない、子供も、大人も
みんなを、ふと明るい気持ちにさせてくれた、サンタさん達に感謝です。
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世の中には、どんな時でも笑みを浮かべられる楽しい事がある。
「悪い事ばかりではないんだな」と、思えました。
こんなささやかな事が嬉しいぐらい、当時は気持ちが塞いでいました。
だけど気持ちを切り替えて、明るく逞しく進んで行かなければ。
介護はまだ終わりではないのだから。
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